NYに行く理由

なぜ僕がNYに行くことを選んだのか?やっぱり説明したほうがいいんじゃないかと思ってこれを書いてます。その前になぜイギリスに行ったのかを説明したほうがいいのかな?丁度一年前の話です。僕はケンブリッジに行くかコロンビアに行くかの選択を迫られていました。コロンビアは年間200万円の奨学金を保証してくれていて、ケンブリッジは年間80万円をくれると言ってくれました。またコロンビアには僕の研究分野のスペシャリストがいました。ケンブリッジにはそんな人材はいませんでした。普通ならどう考えてもコロンビアを選ぶと思いますが、僕はケンブリッジを選びました。なぜでしょう?他にもいろいろ理由はありましたが、アメリカに飽きたからという理由がメインでした。それに自分の研究分野のスペシャリストがいなくても自分の力でどうにかできるというおごりがあったからかもしれません。

でもケンブリッジの教授に惹かれたのも理由の一つでした。入学前に面接に行った時もその教授は「キミの研究は面白い。僕がサポートしてあげるから一緒にがんばろう」と言ってくれたのを覚えています。ある意味、教授のその言葉が僕のケンブリッジ行きの決断に踏み切らせたといっても過言ではないですね。

そして、イギリスへ…。いろいろなことを学びました。文化の違い、人の違い、新しい友達…しかし、学問的に学んだことは一つもありませんでした。なぜならば、誰も僕の知りたいことに答えてくれないからです。その時、はじめて自分のおごりに気づいたのです。僕の悪い病気ですね。僕の心のどこかで「自分はもう他人の力など必要ない」とでも思っていたのかもしれません。ハーバードという肩書きの後ろに隠れてしまおうとしたのかもしれません。教授のほうも僕が答えられない質問をするたびに嫌な顔をしてうやむやな答えを僕にぶつけるのでした。結局、僕のアドバイザーは図書館になってしまいました。ある意味、ケンブリッジにいる必要を感じなくなってきました。だって図書館ならどこでもあるわけだから…。

そして、ある日のことです。教授の口から信じられない言葉を聞かされました。

「マサヤス、もう僕はキミのトピックにはついていけない。あとはがんばって自分でやってくれ。」

本当に信じられませんでした。その時の教授の瞳には、僕が入学する前に見た輝きがなかったのです。僕は教授の無責任さに途方にくれました。サポートなしでどうやったら自分の満足の行く論文や研究ができるんだろう。学校をやめろってことなのかな?そんな時にふとコロンビアのことを思い出したのです。そして、一通の手紙を書きました。

「来年からコロンビアに行けますか?」

そして一週間後、コロンビアの人から快い返事が返ってきました。一年前に僕が断ったにも関わらず、コロンビアの教授はまだ僕に手を差し伸べてくれようとしてくれました。僕は自分の能力がそこまで評価されてくれたことに喜びを感じました。しかし、ケンブリッジをやめる気にはなれなかった。なんか自分で選んだ選択から逃げるようで嫌だった。もう少しがんばってみたいと思いました。

だから9月からは内緒で2つの大学に行きます。そして来年、好きなほうを選ぶつもりです。できれば、両方の大学を同時に卒業したいけど、それは無理かもしれないな。でもできる限りトライしていくつもりです。だって前例がなければ、作ればいいんだからさ。今までだって、前例がないことに挑戦してきたじゃないですか。これからだってがんばってみますよ。死ぬわけじゃないんだから。(笑)9月からはNYに住みます。で、月1回ぐらいケンブリッジに帰るつもりです。あ~あ、お金かかるなぁ~。がんばって奨学金受けなきゃ。だれかぁ~。こんな僕に仕事くれませんか?お茶くみぐらいならできると思いますよ。

結局、僕の挑戦はまだまだ終わらないようです。さっさと博士号取って大学の先生になって安定した生活を送りたかったんだけど、なぜか僕の神様はそういうことをさせてくれないようです。でも、とりあえずやってみるよ。しかし、こんな不可能な挑戦が楽しく感じるのはなぜだろう。マゾだったのかな、僕。それかついに狂ったかな?あ、もともと狂ってるって思った奴。もちろん死刑です。んじゃ、これからも応援してください。やるだけやってみます。

ケンブリッジな生活 第一部 -完-

一言: 苦しいものほど達成した時の喜びが大きいと思うんだよね。楽しみです。

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